WinK Cine Club思い出映画

映画館


 実は私の実家は大昔(昭和1ケタ〜40年代)、大阪で小さな日本映画館(東宝と大映)をしてまして、幼児期に『キングコング』やら『ゴジラ』やら『ガメラ』を観て育ちましたので、どうもそのいまだに、その影響から抜け切れてません。
 なにせ古い映画館で、隣の芝居小屋ではまたたびものとかもしてた記憶があります。
 そのコヤ(映画館)もとうの昔に売り払われて、いまはぎらぎらのパチンコ屋になっているのが、なんだか悲しいです。
 映画館の娘といいましても、母の父(私の祖父)が社長で、実権は母の一番上の姉が握るという零細企業に、両親が勤めているだけ(=社員に給料は払っても、家族には払わない)で、私が小学校4〜5年の時に店じまいしてしまったので、(当時大学生だった団塊世代の従兄どもは、他の映画館の映画もガールフレンド連れてタダで見れたらしく、だいぶ得してたみたいでしたが)私の方は殆ど恩恵なしです。
K徳子(1997年1月13日)


この間日本海を臨む私の故郷の洋画専門館が閉館になるとの記事を新聞で読んでとてもショックでした。初めて子どもだけで見に行った映画がこの映画館で上映されていた「禁じられた遊び」でした。昨夜、たまたま衛星放送のチャンネルをなぶっていて飛び込んできたテレビ映画の女主人公があの少女ブリジット・フォセの長じた顔ではないかしらとというような女優の姿だったのでラストの出演者名をチエックしたら本当にそうで何とも奇遇でした。

高校のときいっしょにその映画館に行く男の子がいました。私としては用心棒ぐらいの軽いつもりで付き合っていたのですが、本気になられて困ったことあったことも懐かしい。夏休みは毎年のようにプレスリーの映画でした。プレスリーのあの目って色っぽいですよね。好みじゃないけど。

私の母は女役割に囚われない女性で、夜に自転車で1人、原田康子の「挽歌」を見に行くような人でした。私がまだ小学校のときです。弟と大人しく留守番をしていました。自分の世界を大切にしている母を私は幼くして認めていたみたい。母につれられて見た映画も結構あります。

私は女性の生き方のテキストとなるような映画を最近は選んで仕事的にはトーク&シネマという講演のジャンルとスタイルを自分で開拓しました。一般の女性向きのモノをこの場合は選ぶのでアメリカ映画が多いです。アメリカ映画は明快でわかり易いのです。「明美のシネマ・リスト」というフロッピーを1つ作っておいて見た映画のリストと簡単なメモをパンフとともに保存しています。

しかし、自分の愉しみで観るのはヨーロッパ、フランス系が好きです。
K明美(1997年1月14日)


私の子供時代、(「泥の河」時代?)大阪の下町には映画館があふれ、5分も歩けば鴫野大劇・緑橋東映・緑橋グリーン劇場・城東会館?などうろ覚えですがたくさん映画館があって日曜にはぐるぐると人の列が館をとりまいていました。昨今のアジアの状態。学校帰りには映画の看板を足場を組んで描いている人たちをよく見上げていたんです。

今、これらの映画館は勿論無くてスーパーだの、銀行だのに姿を変えていますが、建物の一部にかつての劇場の建物らしい飾りが寂しく残っています。ジャン・ギャバンの背中を追っかけた日々もアートシアターギルドの映画を背伸びして見た日々もあるけれど、もう自分だけでは思い出せない状態です。
O美保(1997年1月18日)


 私は尼崎の生まれ育ちですが、小さい頃は家の近くに映画館が3軒もありました(今はいずれも閉館しています)。

 歩いて3分とかからない距離に2軒あって、1軒はたぶん新東宝と日活系(『モスラ』とか『愛と死を見つめて』とかがかかってた)、もう1軒はたぶん東映系。あと1軒はも少し遠くて徒歩約6分くらいのところにたぶん松竹系(岡田茉莉子の出てた『四谷怪談』とかをやってた)のコヤがありました。映画館の中で売ってたチョコピー(チョコレートがけピーナッツ)とか、やたら甘い瓶入りコーヒ(これはお風呂屋さんでも売ってた)とかが懐かしいな。

 そのほか、たまの休日に(昔は酒屋は3のつく日が定休日だったからウィークデーのことも多かった)両親がおばあちゃん抜きでデートするとき子供も連れてってもらえて、そんなときは「映画にするか?花月(例えば梅田花月)にするか?」で迷った挙げ句、花月にすることが多かった。

 で、花月に寄り道するけど、吉本新喜劇の、テレビ中継にはないあの舞台の雰囲気が大好きだった。ピンクや黄色など暖色系のライトでやたら明るく照明された舞台と、「ほんわかほっかほんわかほんわかほんわかほんわかわん‥‥‥」(ご存じの方唄ってください)のテーマ曲のお気楽さ! 漫才も曲芸もナマで見る面白さ(お客を「いらう」など)があったし。昔は花月の楽屋口は客席のほうに近くて、芸人さんをずいぶん見かけたような気がする(今でも吉本の芸人さんはあちこちで見かけますが)。

 もちろん「映画にするか?花月にするか?」で映画になることもあって、そんなときはディズニーの『狼王ロボ』とか東映アニメの『わんぱく王子の大蛇退治』など子供向け映画にも連れてってもらったけど、大抵の場合は大人の映画に引き連れていかれました。

 母の言うには「あんたはいい場面になるとすぐおしっこて言うんやから」だったそうで、子供なりに何かセクシュアルなものを感じてたんでしょうか?
 そんなふうに親に連れてってもらった映画で覚えてるのは、エリザベス・テーラーが出てるからってんで母親がいそいそ連れてってくれた(なんか従姉もいたような気がするなあ)『クレオパトラ』とか、なぜか父親がこれは絶対見なければ!と力説して家族を引き連れてってくれた『007は二度死ぬ』とかを覚えてます(海女姿の浜三枝もきれいだったけど若林映子が良かった!忍者ばりに唇に毒を垂らすとこも)。多分もっと古いのもあるんだろうけど思い出せない。
jaja(1997年3月19日)


私って、子ども時代から映画とは縁が薄かったようです。

うちは家族で映画を見に行った記憶がありません。風に揺れる映画は社宅の人たちと一緒に集団で見ていたし、その後は近所に住む映画好き一家に連れていってもらって、「モスラ」や骸骨映画(骸骨が町の中をふらふら歩くシーンしか覚えていない。外国映画だったと思う)を見ました。

映画館の印象は、「お便所が汚い」この一言に尽きます。
Iはねこ(1997年3月21日)


映画館の想い出は、小さい頃だったせいもあって、どうもくいもんとひっついてて、
売店のおばちゃんがいつも(タダで)くれるおかきとか、
(お菓子類が、妙なガラスのウィンドーに入って売られていた)

暗い通路の中を売り子さんが売ってた「もなか」のアイスクリームとか、
芝居小屋の前で冬場売ってた超おいしぃ「おでん」とかです。
K徳子(1997年3月22日)


大学時代には、名画シアターがいっぱいあったので、月に10本くらいは観ていたこともありましたが、東京に行っている間に名画館がのきなみつぶれてしまい、しばらく映画から遠ざかっていましたが、最近また関西にも名画館ができたのを機に、見始めた・・・いえ、その背景にはやはりここ2、3年、連続して経験した「失恋」の影響が大きいと思います。 どれほど映画によって救われたことか・・・。
でも、映画館の料金は安くないですよね・・・。
西川真理子(1997年9月6日)


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