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ホームドラマ


 今夜、向田邦子シリーズ、「終わりのない童話」をやってましたね。ご覧になっていらしたでしょうか。
 以前から、このシリーズが好きでほとんど欠かさず、見ていました。寺内小春さんの脚本だったころには、加藤治子さんが演ずる母親が、貞淑な未亡人でありながら、ふと女をぎらりと見せるところなんかあって、うなったものでした。
 このシリーズは、昭和のはじめ、父親をなくした中流家庭で、しっかり者の母親と適齢期の姉、お茶の水女子大付属中学(高校?)に通っている妹が肩をよせあって生きている、戦争のきな臭さが漂っていて、姉娘が一騒動起こして、家庭にさざなみがたつが、それもなんとかおさまる。あのころは大変な時代でした、でも、みんな一生懸命に生きていました、と妹の思い出のナレーションでしめくくられるというつくりですよね。
 わたしの世代になりますと(!)、けっこうあの家庭の雰囲気というのが実感としてわかる。なつかしい。
 それに寅さんシリーズではありませんが、もう登場人物も設定もすべておなじみ、安心して見ていられます。ところが、最近はなんだか、物足りない。そのうえ、なんとなく居心地が悪くなりました。
 さて、なぜだろうと皿洗いなどしながら考えたのですが……
 久世光彦さんが描くのは、要するに子どもの視点、子どもから見た世界だったのですね。そういえば、ナレーションはつねに、子どもだった妹でした。
 家庭という枠がしっかりとあった時代、その枠のなかにいれば子どもは安心していられた。戦争があっても、おとなの世界に何か不気味な事件があっても、自分は子ども、母親がつくる繭のなかにいれば安全。すべては甘いノスタルジーにくるまれた世界。
 見ているほうが、子どもの立場に共感していれば、問題ないのでしょう。ところが、こちらはいつのまにか、母親のほうの年齢になっているのでした。
 それで、子どもの視点でできたドラマが、歯がゆくて居心地が悪い、ということのようです。
 それにしても、脚本家が男性のせいか、回を重ねるにつれて「向田ドラマ」ではなくて「久世ドラマ」になってきたのか、最近の作品はとりわけ、ノスタルジックな甘さが強くなったように感じます。
 以前だったら、折り目正しく暮らしているひとたちが、事件をきっかけに思いもよらない感情やふるまいを見せる。そんなすごみがあったのになと残念な気がしています。
 男は子どもと同じように、家庭を「お母さんがしっかり守ってくれる安全な場所」(だったらいいのにな)と思っているのかな、などと邪推したくなったりもするのです。
Y 利子(1998年1月13日)

わたしはあまり向田邦子に思い入れないです。というか、テレビのホームドラマって軒並み嫌いだった。(『お荷物小荷物』とか『時間ですよ』とかは好きだったかな…)
 うちの家庭があまりホームドラマの常識に合致したような家ではなかったせいかもしれない。家族みんな揃って夕食を食べること(これはホームドラマの常識だよね)ってなかったし。私はそれを当たり前だと思ってたけど、妹は「すごくつらかった」ととらえてたみたいです。妹の認識によると、うちは愛情の薄い家庭だったらしく、私はそうは捉えていないのですが…。
jaja(1998年1月13日)

うちは逆に、すごく家族が親密な家でした。
関西出身の両親が、東京で核家族やってたからかもしれません。
今でも、家族の仲はとてもいいです。
でも、仲がよいということは、楽しい反面、しんどいこともないわけでもありません。母と妹は、とってもできたひとなので、ええかげんなやまねは、けっこうひんしゅくかってたりする。子育てだって、いい加減なことしていると、「子供がかわいそう」コールを食らいます。(手抜きする私が悪いんだよ、判ってるって!)
前にFしんこさんと盛り上がった、「酔っぱらって帰っても、母親の前ではシャン!とする」んです、やっぱり。
でも、もと配偶者はこの家族のあり方を、すごく批判しました。
彼は、「正しい家族のあり方を指導して」くれるつもりだったようです。いらんけど。

ま、そういうわけで、私の場合、逆にホームドラマが白々しくて、あんまり好きじゃなかったです。
自分のうちのほうが、よっぽど面白かった。

私も毎日、子供と一緒に食事できません。(朝だけはできるけど、ばたばたしてる)
で、おばあちゃんは、自分だけ、子供(つまり孫ね)と一緒に食べてくれています。
このあたり、さすがに自分の家庭を大切にしてきた人だなあ、と感謝しています。
ワーキングマザーにとっては、「家族そろって夕食が家庭の基本」が常識になると、やっぱりつらいですよね。努力はもちろんすべきだけど。
C.YAMANE(1998年1月13日)


”ホームドラマの中の家族?”論に一言。
私んちはYさんとこと同じですごく仲がよかった。そんでもってそんな私を夫は「ファミコン」(ファミリーコンプレックス)と呼んでくれます。
そしてファミコン妻が家族の幸せを感じるのが「日曜の夕食は”サザエさん”を見ながら家族で・・・」ってやつです。ハハハ^^;
これは本当の話なんですけど、29で結婚するまで日曜の夕食は”家族で”(サザエさんを見てた)と育てられましたの。まあ、毎週守れる訳がないんですが、でも毎回「どーして日曜日に家で夕食がとれないか」と小言を言われ続けました。そのすりこみが現在に至ってるのでしょうか??
Naoko Fujii(1998年1月13日)

 向田作品について。私の向田作品のイメージって「阿修羅のごとく」だったする。
あのトルコの曲がやたらと印象的なドラマ。あと「思い出トランプ」ね。
だから、幸せはホームドラマという印象がないんです。どっちかっていうと、
結婚してもたいていどっちかが浮気してて浮気された側は(たいてい妻)、
じっ〜と耐えつつ、ねちっとしっぺ返しをねらってるというような
おどろおどろしいドラマっていうイメージ。これって向田作品ですよね?

 「母親の前ではしゃき」っとするFです(^^;;
でも、「幸せ家族」だったのだ!!と宣言するほど自覚がない・・・。
ほどほどに幸せでほどほどに仲良しで・・。
これって自分が結婚してないからわからないんだろうか?
F 真子(1998年1月14日)


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