演劇、舞踊、音楽、オペラ、その他の芸能今日、京都の帰りに天満で降りて、借りてた本を返しにドーンに寄り
ました。で、話題の「レニ」を予約してきましたぞよ。だって、ここのビデオって(土曜のせいかどうか)殆ど貸し出し中
なんだもん。いつもこうですか??そんで、仕方ないから、数少ない、誰も借りてない分から、
「赤い靴」を借りてきました。これ、なんだか懐かしかったので。それと、ダンス映画が好きなのです、私。
「ダンス」、「踊ること」、自体が好きだからかもしれません。「踊ること」って、私にとっては、かつて息をするのと同じでした。
小学生の時に、日舞をならってて、ほんとに好きだった。
「Shall we Dance」で、オフィスの机の下とかで主人公がステップ
踏んだりするシーンがありませんでしたっけ?あれと同じことを、
私も教室でしてたんです。同級生になにしてんの?って冷やかされたりして。ものすごくお金がかかるので、中学になって三味線に切り替えてしまい
ましたが、やっぱり踊りには比べようもありません。「舞」となると、これは全く別物です。
高校時代に、山崎正和の『世阿弥』(>Iさんもお好きなんですね!)
に傾倒して、それで大学に入って「能」のクラブに入ったのですが、
「踊り」と「舞」の圧倒的な違いにほんとうにびっくりしました。「踊り」は、心の解放。
「舞」は、想いの凝縮。「舞」は、ものすごく高度に「型」(=動作)が決められてます。
たとえば、「泣く」動作も決められてて、自分で勝手には舞えません。
これが、「舞手」にとっては実にしんどい。少しでも「型」が狂うと、
泣いているように見えないからです。殆ど、世阿弥のしくんだわなに
はまったとしか、ほんとうに思えない......。『世阿弥』では、そういう世阿弥親子の葛藤の様子が戯曲になって
います。すごく薄っぺらい本(文庫もあり)ですが、中島敦と並んで、
私の好きな本の1つです。玉三郎の日舞の映像(ビデオ)は、そうした「踊り」と「舞」の要素を、
見事に一体化したもの。ある時は水墨画や日本画、またあるときは映画を
みているように思えたりします。
K 徳子(1997年9月20日)
「日舞」と「舞」にそんなに違いがあるなんて知らなかった。
「秘すれば花」ってそういうことなんでしょうか?
F 真子(1997年9月21日)
こやまっちさん、ひょとして能楽部は宝生流でしたか?そうだったら、あなたと
私は姉妹弟子かも。私の学校の前田先生は加賀宝生の方で指導して下さり、
その息子さんは神戸大学の先生で、彼もまた能楽部の顧問。そんなわけで
夏合宿は神戸大と一緒、そして金沢の能舞台にも遠征しました。
結婚してみれば、姑は京の観世流(鶴屋吉信じゃないよ)の片山家のお社中でした。
自分の両親とも謡をならっていたこともあったので能楽には素養はあるので、
伝統芸能鑑賞は楽ですが、お金を払って見るのは顔見世ぐらいかな?
K 明美(1997年9月22日)
『赤い靴』はわたしも大好きです。あのバレエシーンは素晴らしいよねえ!
それに色彩がすごくきれいです。こやまっち、シルヴィ・ギエムはお好きですか? わたしも見ないでいうのもなんなんだけど、彼女を貶す人が必ず言うのは、「あんなに脚を開いたり高く上げたりするのは下品だ。あそこまでいけばバレエじゃなくてアクロバットだ。見世物芸だ」ってことなんだけど、それって下品とか上品とかそういう問題なんだろうか?
人間の身体はどんどん人間のかたちを離れて機械に近づけば近づくほど人間に近くなるって話ではないんだろうか?高度に決められた「型」を正確にやればやるほど、つまり人間の身体がとても精密な機械に近づけば近づくほど、ナマミの人間が立ち現われてくるという逆説は、現代演劇のとても重要なテーマですね。
いま面白い日本映画には殆ど必ず顔を出している大杉漣という俳優さんは、転形劇場の出身だということです。転形劇場は私も一度しか見に行ったことないのですが、もろ能楽の方法論を踏襲しているので、俳優は「型」を正確になぞる訓練を受けてるはず。そう考えると、小劇場的にクサイ芝居をすれば演じたことになると思い込んでいる有象無象の日本の俳優たちのなかで、大杉漣がすごい存在感を漂わせているのがわかるような気もします。
(…ただし、これも演出家によるのよね〜。黒沢清の一連の作品であんなにいい彼が、『ポストマンブルース』で精彩なかったのは、ひとえに監督がアホなせいだと思いました。それこそ小劇場的にだらしなくテキトーに演ってればいい程度の演出しかしてなかったんじゃないだろうか?)日本の現代演劇も、つかこうへい以来(また野田秀樹が出てきて小劇場ブームが盛り上がってからは一層のこと)私のあまり好きじゃない方向へいってしまったので、長いこと見てません。でも、ダムタイプなんかは聞いた限りでは面白いことやってたみたいなんだな。古橋サンが生きてた頃にちゃんと見に行っとくべきだった…。
jaja(1997年9月23日)
あけみせんせwrote;
>アメリカ時代はこれが役立ちました。
>アケミって、指名されて鷹揚に妻をプロポーズ相手に引き渡すのも
>紳士の夫の役目。かっちょえぇぇ〜〜、まるで『ローマの休日』の最初の舞踏会シーン
みたいですねぇぇ。ヘップバーンは、なぜかダンスシーンが心に焼き付いています。
『マイ・フェア・レディ』で王子と踊る彼女、『戦争と平和』
でアンドレイ・ボルコンスキィと踊る彼女......。
ほんとうに、貴族や王族の優雅さが、これほど出る女優さんは
いないような.......。無性にダンスをならってみたくなってきました!
KINOSHITA, Akemi さんによると:
>こやまっちさん、ひょとして能楽部は宝生流でしたか?そうだったら、あなたと
>私は姉妹弟子かも。うわぁぁ、プロでいらしたんですね。
うかつに知ったことはいえませんねぇ、はずかしぃ。(^^;;;残念ながら、能楽の方は観世だったのです〜。でも宝生流と同じ部室を日替
わりで使ってましたし、ダーリンのゼミの同級生(43、4歳)は、その
宝生流のクラブに(いまは金沢で会計士)。かたや中高時代の同級生の女性が、
あけみせんせの大学で能楽部に入ってましたので、発表会を見に行ったり、
宝生流ともいろいろご縁がありました。卒業後は、京都(幸流の曽和正博先生→金剛能楽堂や今出川の自宅)で、8年
くらい小鼓を習ってたのみです。
K 徳子(1997年9月23日)
オードリーは元バレリーナだもんね。背が高すぎるとのことでしたが。
まだ無名時代のイギリス映画でもバレリーナを演じてたと思います。
たしかコレットの『ジジ』をイギリスで舞台でやったときにヒロインに抜擢され、のみならずそれを見た原作者のコレットが「私のジジ!」と感激して賞賛しまくり、それがハリウッドの注目を得るきっかけになった…というのは、別MLで昔むかし教えてもらった話です。
jaja(1997年9月23日)
Kさんからはいろいろお話聞いてるのに、まだまだ
いっぱい秘密があるんですね。実は、私もウィーンにいる頃
社交ダンス習ってました。ウィーンって、あの有名な「オペルン・バル」
をはじめとして冬中いたるところで舞踏会があるのです。
このお姫さまとお城大好き超ミーハーなFが見逃すはずがない。
でもやっぱ踊れなくてはしょうがないので、とりあえず大学付属の
ダンス教室に通い、地元民にも練習に付き合ってもらって
おまけにドレスまで買って、冬の間に3回程と夏の大学バルに行きました。
「お菓子協会」「薬局協会」なんかが主催して宮殿とか市庁舎とかで
21:00〜4:00ぐらいまで一晩中やります。値段は3000円ぐらい。
一番綺麗だったのは、やっぱ「花屋協会」主催のバルでした。
バルって、私が一押しおすすめのウィーンのイベントです。本当に素敵ですよ。
みんなでツアー組んで行ければ楽しいのになあ
男性はですね、一応ザルツブルグに既婚者ですが、ばりばりダンサーがおりますので。シルヴィ・ギエム、今度見に行きます。
「ボレロ」を踊るということで、どんな踊りを見せてくれるか楽しみです。
F 真子(1997年9月24日)
バレエにしろ、能楽にしろ、完璧なステップや所作は実に美しい.....。「完璧」な演劇や踊りって、見ている人に、けっしてその「技巧」を感じさせ
ませんよね。例えば、スポーツ選手や疾走している馬が美しいみたいに。
すごい技の連続の上に成り立っている動きなんだけど.....。
その技巧を見てる人に感じさせるというのは、はっきりいって「型」が消化でき
てない=下手なせい、だと思う。能楽がなんでしんどいのか、こないだから考えてたんですが、完璧に「型」に
はまらないと、完全に美しくはならないというか、あまりに完璧かつ精巧に
「型」で出来上がりすぎていて、そこから自分流の「型」をつくる余地がない
せいではという気がしてきました。見るほうも、舞うほうも、大変しんどい。
こういう「秘すれば花」の「重たさ」は、今の時代、特に若い世代には
あんまり合わない気もします。なにか、また、新しいこころみをしないと。
K 徳子(1997年9月29日)