トリン・ T・ミンハ
ポストコロニアリズム・フェミニストの旗手とでもいうのかしらん、トリン・T・ミンハさんの映画5本(日本初公開作『ありのままの場所』"Naked Spaces : Living Round"を含む)の上映会が東京であるようです。4月17日から19日まで。場所は赤坂の国際交流フォーラム。
詳しいスケジュール、作品解説などはこちら。
http://www.imageforum.co.jp/if/trn-scr.html
http://www.imageforum.co.jp/if/trn.html
わたしは『愛のお話』『核心を撃て』しか見たことがありませんが、すごくいいですよ。
雑誌「イメージフォーラム」の新装刊準備号も特集「映像とジェンダー・セクシュアリティ」で表紙がミンハさんの写真です。
中身はレズビアン・フェミニストで映画作家であるバーバラ・ハマーのインタビュー、ぼくバラこと『ぼくのバラ色の人生』評、1940年代に詩的で美しい実験映画作品を残したマヤ・デレンの特集など。
実は『核心を撃て』は昨年夏ミンハさん自身が京都にいらした折の上映会で見たのですが、しかしご本人による作品解説は時間の制約・言葉(通訳)の制約もあってか、誤解を招きやすい部分でとどまっていたのが残念です。
そこがポストコロニアリズムの陥穽でありポストコロニアル・フェミニズムの陥穽でもあるかもしれませんが、なんというか、クレオール礼讃、とくにクレオールのなかのジェンダークレオールであるところの女性礼讃ということになってしまうと、二昔前ぐらいのエコフェミとかわらん話になってしまう。
映画の中での色の象徴主義などについて語るときの彼女の言説は、そのように受け取られかねない危険性も持っている。いや映画作品そのものは、易々とその限界を過ぎていけるものだと思うのですけどね。
それは、どこに視点(映画で言えばキャメラのありかとフレームのありか)を据えるか、どこに言説の中心(映画で言えば「声」と「音」)を置くか、の問題であり、それを固定的・中心的(すなわち男根的)なものとして据えないで、境界線上を彷い移動し続ける主体からそのときどきに向けられる偏差した視点、偏差した言説、ということで陥穽を避けてまわりながら核心を撃とうとするのが、彼女の戦略なのかもしれません。
jaja(1999年4月5日)
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