映画についてあれこれおしゃべり『ANA+OTTO』もまぁまぁ。
Otto-piloto(オットー・ピロットー=パイロットのオットー)が、Fin+landia(=フィンランド/大地の果て)まで、Laponia(ラップランド)のなかにいるAnaをさがしにいく物語なのですね。つまりは言葉の地口からできている。主人公の名前ふたつが左から読んでも右から読んでも一緒の言葉になってることといい、接近、擦れ違い、出会い、などの「運命」がさまざまな繰り返しを通じて描かれるところといい、言葉の地口といい、こりゃネオフロイト学派かラカンさんかとおもったら、監督やっぱり精神科医をめざしていたことがあったそうな…。
ただ、その意図があからさますぎて、やや下品にすぎる映像や演出(オットーの飛行機がアナの股のあいだをめざしていく映像なんてやめてーというぐらいそのものずばりのセックスシーンよりもよっぽど猥褻じゃわ)はあるのですけど、まぁおもしろかったです。
キェシロフスキとちょっと感覚が似ていて、『ふたりのベロニカ』とか『デカローグ』とか「トリコロール三部作」など彼の映画が好きなひとなら絶対気に入ると思う。
そういえば『ワンダーランド駅で』も、観客だけは既に知っている「必ず出会うべきふたり」がなかなか出会わずにはらはらするという構造とか、いろんな要素の繰り返し、擦れ違いと接近、など、よく似た感じでしたね。こちらはちょっと演出がクサイとこあってあんまり好きじゃない。
でも、こういう、なんつーか「ヌーヴェル君の名は?」じゃないが、表層的でほんっとに偶然にしかすぎない偶然による「運命」のかる〜い描き方って、いまの時代にあってるのかもしれません。
jaja(2000年2月18日)
『ワンダーランド駅で』は、やっぱり「クサイ」と感じました(笑)。
ちょっと『メッセージ・イン・ア・ボトル』を観たときと似た感じです。
アランという男が女性には興味がなく、勉強ばかりしているという感じが最後のシーンでは、別人のように見えました。
『ワンダーランド駅で』はわたしの一番好きな、シネリーブル博多(こちらの方は中洲にある)だったので、シートも快適でスクリーンもきれいなため、映像はきれいでした。
T 尚子(2000年2月20日)