社会を変革する映画KIUCHI,yuko wrote:
> ちょっと前、『イン&アウト』っていう映画がありましたよね?
> 田舎のガッコのセンセが生徒にアウティング(他人のセクシュアリティ等
> をバラすこと)されてしまうってな(でも、ほんまにセンセがゲイなのかどう
> かわからん)話の映画。
> ご覧になった方いらっしゃいますか?
>
見ましたけどむちゃくちゃ反動的でどうしようもない映画でした。ゲイのひとやそういうのにかかわっているひとならみんな怒ったのではないでしょうか? それが一般人には「良心的」であるかのようにみえるとしたら、そのほうが問題だとおもいましたが…。
なんてことをあらかじめゆっちゃうとまずいかな。
Kの素直な目で見てどうだったかおしえて。jaja(2000年1月18日)
みーんな、観たことある人は「あっほちゃぁうぅ」って感じって言って
ました。なんかワイワイガヤガヤエンターテイメントな感じだそうで…。
ま、これは個人的な感覚の問題なんだけれど、吉本の藤井隆とかって、
ワタシの周りでは「あり」よねーって風に容認されてるんですよね。
なんか「おもろい」やんけ、みたいな。
この辺は、誤解を招いてしまうかもですけど…。いろんな意味で。
実はもう今日の時点で観てないとやばいんですけど、
まだヴィデオ屋にも行ってない。
早く観ないとぉー。
K 祐子(2000年1月18日)
K@多忙によるストレスの為、今日はClub Luv+で大暴れの予定 です。
以前お話していた、『イン&アウト』のストーリー紹介及び感想です。
なんかちょっと控えめな感じでしつこさとかうるささが足りないような気が
したりしてますけど、まぁまぁ褒めてもらってます。
わりと長文です。
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インディアナ州グリーンリーフ。そこで英語教師をするハワードは3年間の長い婚約期間を経て、3日後に挙式を控えている。
彼の教え子、グリーンリーフの星、今をときめくハリウッド俳優キャメロンのアカデミー賞授賞式。街中の人々はもちろん、ハワードも婚約者のエミリーと共にテレビの前に座して息をのむ。予想通り、キャメロンは彼の主演作『ホモに生まれて』のゲイの兵士役で主演男優賞を受賞する。
教え子の受賞に大喜びするハワード。
街の英雄の受賞に沸き立つ街の人々。
受賞台に立ったキャメロンは言った。
「この賞をすべてのゲイの兵士のために。」
また加えて、恩師であるハワードのことに触れ、言った。
「彼はゲイだ。この素敵な夜は彼に捧げる。」
「ハワードはゲイなのだろうか?」という問いがこの物語の全体を通して続く。その問いは周囲の人々からハワード自身に向けられるのはもちろん、ハワード自身が自分に向かって問うことにも繋がる。
周囲の人々は彼を指して言う。
「知的で、清潔で、繊細で、お洒落…。やっぱりハワードはゲイだ。」
シェイクスピアをこよなく愛す彼を指して生徒たちは、「元来詩なんてものはホモチックだ。」と言う。
ハワード自身、「自分はゲイなのか?」という疑念を抱くようになる。
婚約者のエミリーとの婚約期間の3年間は、一切親密な関係を持たずにきた。人は自分をゲイと言う。知的で、清潔で、繊細で、お洒落で…そんな自分はゲイなのか。
おもむろに彼はベットの下からテープを取りだしデッキにセットする。
そのテープは滔々と語り出す。
「男とは、働き、飲み、背中で泣くものである。」
「男はいついかなる環境に置かれても音楽に合わせて踊ってはならない。」
いつしか彼の疑念は確信へと変わる…僕はゲイだ…。
彼はこともあろうに、挙式当日、誓いの言葉を述べる場面で、「僕はゲイだ。」と告白する。花嫁は逃げ出す。会場は騒然…。
教師の職まで失いそうな彼は、教え子たちの卒業式に出席する。
そこへキャメロンが乱入してくる。
「ハワード先生はゲイだから学校を辞めなくてはいけないのか?」
と校長に問う。
そんな時、ハワードのクラスの生徒が立ち上がって言った。
「僕もゲイです。」
すると会場中の人々が口々に「私もゲイだ。」と言いながら立ち上がっていく。会場は「私もゲイだ。」という言葉で包まれ、拍手喝采のうちに式を終える。
もう、素晴らしいハッピーエンド??
なんなら感動して、涙で頬を濡らしてしまう…かしら??
この物語が発しているメッセージは『ゲイでもOK!』ってなポジティブなもの。
ハワードは生徒たちに愛されていたし、友人もたくさんいた、家族は暖かかったし、毎日が充実していた。
何よりも知的で、清潔で、繊細で、お洒落。申しぶんない。
そんな彼がたとえゲイであったとしても、関係ない。
だからエンディングでは、みーんなで楽しげに踊り狂ったのよね。
ハワードはゲイ疑惑をかけられたことによって、「ハッキリしなさい!」
という無言・有言の圧力をかけられる。しかも、ハッキリさせることが当然といったムードで。テレビや新聞の記者から追い回され、生徒からも詰問され、ハッキリすることを強制される。
観ている方も、「ハワードがゲイなのか否か」を知るべくストーリーを追うように煽られる。
ヘテロであれば言うまでもないことなのに、ゲイといった印つきの性的志向(指向・嗜好…)である場合にだけ説明を求められるのは不可解。でもその不可解さは、ふんだんに盛り込まれた笑いで跡形もなく消えてしまうわ。
ハワードが記者たちに追われることは<当然>。
ハワードがゲイであるかどうかハッキリさせることは<当然>。
何も疑問を持たずに、追われ動揺する彼の姿をクスッと笑ってしまう。
おっとっと、なんだか危険?
彼が『男を磨くために』というタイトルのテープを聞きながら<男らしさ>を学習するシーンでは、「軟弱男=ゲイ」といったイメージを固定化させる可能性大ね。だって、男は決して踊っちゃいけないんですもの。シャツだってだらーしなく着こなさなきゃいけないし。「働き、飲み、背中で泣く」なんていう河島英五世界を実践しなきゃいけないなんて、ご苦労お察しします。
まぁ、それはいいとして、河島英五世界を実践できないからって、ゲイだなんてすごく安直。
言うのも恥ずかしいくらいだけれど、ヘテロにいろんな人がいるように、ゲイにだっていろんな人、いるのよね。
全編を通してふんだんに盛り込まれた「笑い」は、いろんなものを見えなくさせる可能性をはらんでないかしら。
この物語を、「とある1人の男性を襲ったゲイ疑惑にはじまるドタバタ劇」と捉えることを忘れずに、大いに笑って楽しみたいものです。
そこで初めて、「ゲイ?そんなの関係ないじゃない。」と、気持ちよくエンディングを迎えましょ。K 祐子(2000年2月3日)